2月24日のブログに、
「卯浪の意味は?」を
投稿しました。

その中で

あるときは船より高き卯浪かな
鈴木真砂女

の句を記しました。

鈴木真砂女さんは、
明治39(1906)年11月生まれ。
平成15(2003)年3月14日に
逝去されました。
享年96歳。

真砂女さんが逝去されたときに
私たち麻布教室の先生、
佳田翡翠先生が詠まれた句です。

真砂女逝く銀座の柳芽吹く頃
佳田翡翠

真砂女さんは、
久保田万太郎さんに
師事した俳人です。
千葉・鴨川の旅館の娘として
生まれ育った真砂女さんは、
人生の大波小波をくぐり抜け、
二度目の離婚後、
昭和32(1957)年3月に
銀座1丁目に小料理屋「卯浪」を
開店しました。

その店は、お孫さんが後継され、
営業されていましたが、
今はもうそのお店はありません。
いろいろ調べてみると、
その店は立ち退きにあい、
平成20(2008)年に
閉店しました。
その詳細は「
銀座経済新聞」に
載っています。

しかし、その後、再び
開店されたようです。
場所は、銀座1-5-14。
ただ、この店も今はありません。
閉店された時期はわかりませんが、
平成26(2014)年に
営業されていたことは確かです。

その「卯浪」のあった場所に
行ってみました。
手前の格子戸のところが
卯浪があった場所で、
新しいお店が入店していました。

卯浪跡

しかし、今も、
小料理屋「卯浪」の様子は
見ることができます。

まだ「
食べログ」にも
掲載されています。
(「掲載保留」の注意書き付きですが)

あるいは、
小料理屋 卯浪の日常」という
ブログがまだ生きています。

これらから、店内の様子や料理を
知ることができます。