こんにちは。
一週間のご無沙汰になってしまいました。
暑い日が続いていますね。
私、これから外出予定ですが、ちょっと覚悟がいる、そんな暑さですね。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
さて、「李白観瀑」という絵をご覧になった方は少なくないと思います。
詩人の李白が、旅の途中で廬山の滝を目にし、感動してたたずむ様子を描いたもので、多くの画家が描いています。
先日、「李白観瀑」の木像を鑑賞する機会がありました。
米原雲海さんという彫刻家の作品でした。
李白さんが斜め上を見上げています。
「見上げている」といいましたが、目は閉じているように見えます。
滝の音を聴き、水しぶきを肌に浴びている、まるで滝を感じている様子といった方が近い印象でした。
それは、高さ30cmもないような小さな彫刻でした。
滝は彫っていないのに、大きな大きな滝の存在がそこにある。
まるで優れた俳句みたいな作品でした。
滝の上に水現れて落ちにけり
後藤夜半
あめつちの音を一つに滝落つる
古賀まり子
一週間のご無沙汰になってしまいました。
暑い日が続いていますね。
私、これから外出予定ですが、ちょっと覚悟がいる、そんな暑さですね。
皆さまはいかがお過ごしでしょうか。
さて、「李白観瀑」という絵をご覧になった方は少なくないと思います。
詩人の李白が、旅の途中で廬山の滝を目にし、感動してたたずむ様子を描いたもので、多くの画家が描いています。
先日、「李白観瀑」の木像を鑑賞する機会がありました。
米原雲海さんという彫刻家の作品でした。
李白さんが斜め上を見上げています。
「見上げている」といいましたが、目は閉じているように見えます。
滝の音を聴き、水しぶきを肌に浴びている、まるで滝を感じている様子といった方が近い印象でした。
それは、高さ30cmもないような小さな彫刻でした。
滝は彫っていないのに、大きな大きな滝の存在がそこにある。
まるで優れた俳句みたいな作品でした。
滝の上に水現れて落ちにけり
後藤夜半
あめつちの音を一つに滝落つる
古賀まり子