麻布俳句教室

麻布で俳句――。「卯浪俳句会・麻布教室」で俳句を学ぶ仲間の活動記録です。

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カテゴリ: 句碑探訪

松尾芭蕉句碑 天現寺

一里はみな花守の子孫かや
松尾芭蕉

東京都港区の
多聞山天現寺にある
松尾芭蕉の句碑です。

そう、広尾近くの
あの天現寺です。

天現寺の前は
よく通りますが、
お参りしたのは
初めてでした。

松尾芭蕉句碑 天現寺2

すごく手入れの
行き届いた建物と庭。
気持ちがスキッとする
境内です。

そのお庭の一角に
松尾芭蕉の句碑が
あります。

多聞山天現寺の
ウェブサイトによると、
句碑の裏面には、
「文政六癸未初冬」および
「其薫四方に満つるや八重桜」
と掘られているとのこと。

文政の頃にこの寺で
句会が催されたことから、
この句碑が建った
のではないかと書かれています。

文政6年といえば、
1823年。
江戸後期ですね。

多聞山天現寺は
正徳3(1713)年に
開山している
そうですので、
約100年後に
この碑が建立された
ことになります。

一里はみな花守の子孫かや

芭蕉がこの句を
詠んだのは
元禄3(1690)年。
蛙の句の4年後です。

奥の細道の旅を終えて、
伊賀に帰省。
再び旅立ち、
立ち寄った先で
詠んだ句です。

「花垣の庄」の故事を
踏まえて、
この一帯の人々は
皆、花守の子孫なのかと
詠んだ句だそうです。

天皇の妃が
伊賀の国余野の庄に
桜を植えさせ、
開花の時期7日間は
この一帯の人々が
宿直して花を守った
ことから花守。
(伊賀市予野には
花垣神社があり、
花守の句碑もあります)

花守が季題。

達筆が読めず、
句碑を訪ねても
その場で理解することが
できないので
四苦八苦ですが、
多聞山天現寺の句碑の
表面にも
「伊賀の国花垣の花は~~」
と前書きがあります。

所在地: 東京都港区南麻布4-2-35
      多聞山天現寺
交通: 地下鉄日比谷線
     広尾駅から徒歩7分

「句碑探訪」――。
先日は礼文島にある
句碑について
書きました。
今回からは、
東京都港区にある
句碑を中心に
訪ね回りたいと思います。

*******

古池や蛙飛び込む水の音
松尾芭蕉


俳句の中でも
最も有名な句のひとつ。
詠まれたのは
貞亨3(1686)年、
芭蕉43歳のとき。

隅田川に飛び込んだ
蛙の水音。
あとで、上句を「古池」に
したといわれています。


いずれにしても
有名な句なので、
句碑は全国各地に
たくさんあるようです。
清澄庭園にもあるとのこと。
今度、撮ってこようと
思っています。 

この句の多数の句碑のうち、
恐らく
最も忘れ去られているのが
この句碑では
ないでしょうか。

宝珠院弁天堂 芭蕉句碑


増上寺やプリンスホテルに
隣接する宝珠院に
ひっそりと、
それはあります。

ご覧のように
もう一部が埋まっていて
「とびこむ」の
「とび」までしか読めません。

碑の裏を見ると、
この碑が建てられたのは
文化のようです。
文化何年かはわかりませんが、
文化は1804年から
1818年までなので、
芭蕉が詠んでから120年後に
建てられたことになります。


宝珠院の方に伺ったところ、
このお寺は330年を
超える歴史があり、
以前は増上寺の
一部だったとのこと。
分かれたのは戦後だそうです。

ここに句碑が建てられた理由は
わかりませんでしたが、
増上寺の一部だった時代に
建てられたことは確かです。


宝珠院が創建されたのは
貞亨2年とのことですから、
芭蕉が蛙の句を詠む1年前。
何かのご縁を感じます。

もしかして、この句碑の
達筆な文字のところに
建てた由来、もしくは
ヒントになることが
書かれているかもしれませんが、
達筆過ぎて読めませんでした。
残念…。

宝珠院は芝公園の
一部のような場所にあります。
宝珠院の敷地外になりますが、
このお寺の横には
池もあります。

決して広くない
お寺の敷地ですが、
この句碑は
見つけづらいです。
もしいらっしゃたら、
宝さがし気分で
探してみてください。 

【宝珠院】
住所:東京都港区芝公園4-8-55
最寄駅:大江戸線・赤羽橋駅
目印:「弁財天」の幟
 

3月1日に
「日本最北端?の句碑」 を
投稿しました。

あまりに大まかな内容で
投稿してしまいましたので、
少し調べてみることに
しました。 


日本最北端の句碑

飢ゑし啼く海猫に日増しの北風嵐
上村占魚

【句碑の所在地】
礼文島の北部、スコトン岬の
ある半島のつけ根にあります。

【いきさつ】
俳誌『みそさざい』の
創刊40周年の記念碑として
建てられました。
その主宰者であることから
上村占魚の句が刻まれました。
調べたら、『みそさざい』の
創刊は昭和24(1949)年。
ですから、創刊40周年は
1989年です。
この句碑は平成に建てられた句碑
ということになります。
しかし、なぜこの地なのかは、
調べられませんでした。
ちなみに、鷦鷯(みそさざい)の
季題は冬です。

【上村占魚】
大正9(1920)年9月5日生まれ。
平成8(1996)年2月29日逝去。
この年はうるう年だったのですね。
出生地は、熊本県人吉市。
本名は、上村武喜(たけき)。
俳句を始めたのは昭和12(1937)年。
18(1943)年から高濱虚子、
松本たかしに師事。
昭和24(1949)年に
俳誌『みそさざい』を主宰し創刊。
「ホトトギス」同人。

【その他代表句】
本丸に立てば二の丸花の中
鯉のぼり目玉大きく降ろさるる
月の色して鮎の斑のひとところ
天上に宴ありとや雪やまず
六面の銀屏に灯のもみ合える
(『覚えておきたい
極めつけの名句1000』より)

【参考サイト】
熊本県教育委員会「上村占魚」
なごみ紀行「俳人・上村占魚」






 

日本最北端の句碑

飢ゑし啼く海猫に日増しの北風嵐

礼文島に立つ、上村占魚の句碑です。
今自由に行ける範囲内では、
恐らく日本最北端に立つ句碑ではないかと、
撮影しました。

上村占魚(うえむらせんぎょ)は熊本の出身。
高濱虚子らに高く評価されていた俳人とのこと。
(出所:熊本県観光サイト
「なごみ紀行」より)

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